被災地ツアーに参加して。

昨夜、無事に被災地から帰宅しました。

残念ながら、初日の亘町の公演は台風により中止…


実は、一緒に行った松村里沙さんはシャンブルの中で、「雨女」で有名なのですが、
「きっと今頃、やっぱりねって皆言ってるよ(笑)」なんて話しながら、
思わぬ休日をもらい、21時には就寝…

翌日は、宿舎の縁側でバーをし(!!) 「山元町」の避難所になっている公民館へ向かいました。


避難所のテントのすぐ見えるところに仮設舞台を設置↓




その間、避難所の段ボールで区切られている区画を回り、 舞台の告知をしました。

その甲斐あってか、強風にもかかわらず20〜30くらいの人が、出てきてくれましたo(^-^)o

真由美先生が今回のために振付けてくれた「アメージンググレイス」も、
里沙さんと二人で踊った「トリッチ・トラッチ」も好評でした。

(里沙さんと二人でトリッチとか・・・レアだなぁ。。。)

一番の難関、観客参加型、ミニバレエ講座もどーにか終え(汗・・・)スタッフさんに、

「あれだけ立たせた(参加)のは今村先生の次くらいだ。」
とまずまずの及第点をもらい(笑)山元町を後にしました。


翌日は、新地町という、津波の被害の多かったところに↓




この畑のように見える平地、実は津波で流されたあと・・・

地震の前は、国道から海が見えなかったハズなのに、今は遠くの沿岸線まで見渡せます。。。



撤去した瓦礫の山、地割れしたアスファルト、ブルーシートのかかった屋根、
地震の爪痕がくっきりと残っていて、覚悟はしてたもののショックでした。


実は、行く前は、歓迎されなかったらどうしよう…受け入れられないかも知れない、と不安でした。

そもそも歓迎されたいなんて思うことが、傲慢なのかも知れませんが、
やるからには喜んでもらえたらな…と思っていました。

でも、そんな心配はまったく意味がなく…こちらが驚くほど、皆さん喜んで下さいました。

涙ぐんで握手やサインを求めに話しかけに来て下さり、
「来年も来て下さい」と役場の方々にも頭を下げられてしまい恐縮しきった私達…

震災から2ヶ月たって、 私が東京でのほほんと生活してる間も、こうして日々の生活に、
不安を抱えながらも、それでも前向きに生きている人が、たくさんいるということ…


どこか現実逃避していた自分が恥ずかしいです。


復興への道のりを想像するだけで気が遠くなります。

でもこれは被災地の方だけの問題ではなく、日本全体で越えて行かなければならない試練なのだと思いました。



私が祈ってもどうにもならない、と知りつつ一日も早い復興を祈るばかりです。


                           MIHO


おまけ↓

山元町の役場の皆さんと↓

模造紙にサインをする里沙さん↓

雨天時には楽屋になる移動車・・・ 衣裳を干してスプレーをかけてシワ伸ばし中。。。↓

2日目の舞台。これを3人のスタッフで小一時間で組み立てます。(すごい!)
後ろには自衛隊の車と宿舎になっている体育館が見えます。↓

アメージンググレイス↓